世の中には光と影がある。
名曲を残し、数百年後までその名を残す作曲家たち。
一見光に満ちた人生のようで、非業の死を遂げた者たちもいる。
今回は彼らの最期にスポットライトを当ててみよう…。
たらりららん、たらりららん、たらりらたったったらりららん…
(世にも奇妙な物語のBGM)
- Cause 1. 死因:指揮死~ジャン=バティスト・リュリの場合
- Cause 2. 死因:医療ミス~ヨハン・セバスティアン・バッハの場合
- Cause 3. 死因:過労死~フェリックス・メンデルスゾーンの場合
- Cause 4. 死因:狂死:ベドルジハ・スメタナの場合
- Cause 5. 死因:迷宮入り~ピョートル・チャイコフスキーの場合
- Cause 6. 死因:呪い(?)~グスタフ・マーラーの場合
- Cause 7. 死因:妻を救おうと死~エンリケ・グラナドスの場合
- Cause 8. 死因:交通事故~モーリス・ラヴェルの場合
- Cause 9. 死因:虫刺され:アルバン・ベルクの場合
- Cause 10.死因:射殺~アントン・ ヴェーベルンの場合
- まとめ
Cause 1. 死因:指揮死~ジャン=バティスト・リュリの場合
1632年~1687年,フランス
バロック時代に活躍したフランスの作曲家、リュリ。
ルイ14世の元に仕え、フランス貴族社会の寵児でした。
その分周りに敵も多く、さらに超プレイボーイ。
いわゆる男色の気もあったようで、王様の家来(♂)にまで手を出し、不服を買ったとか。
そんな憎まれ役のリュリ、自分が指揮する演奏会中、指揮棒が自分に刺さってしまい死亡します。
当時の指揮は、重い杖で床をドンドン叩いてリズムを取るというものでしたが、(絶対うるさい)
誤って自分の足を強打してしまい、そこから足が壊死してしまったそうな…。
まさか彼も後世にこんな名の残り方をするとは思ってもいなかったでしょう。
Cause 2. 死因:医療ミス~ヨハン・セバスティアン・バッハの場合
1685年~1750年,ドイツ
学校の音楽室に肖像画が飾ってある確率ランキングではベートーヴェンと並んで第1位、音楽の父バッハ。
その後のクラシック音楽の源流となり、彼なしではクラシックを語ることは出来ません。
そんなバッハ、白内障の手術を高名な眼科医テイラーの元で受けました。
術後テイラーは記者会見で「手術は大成功!バッハの視力は完全に回復した」と発表しますが、あえなく失明。
手術や後遺症、投薬により体力を奪われたバッハは、4か月後この世を去ります。
なおあのヘンデルもテイラー医師の元で目の手術を受け失明しています。
テイラー医師ぇ…。
Cause 3. 死因:過労死~フェリックス・メンデルスゾーンの場合
1809年~1847年,ドイツ
タイトルを見てヒヤッとした日本人多数。
「夏の夜の夢」や交響曲4番「イタリア」、ピアノのための「無言歌」集など、数多くの名作を世に残したメンデルスゾーン。
実家は超がつく大金持ち。誕生日プレゼントにオーケストラをもらうほど。
そんな彼、作曲に加えて指揮者として世界中で活動、音楽学校も設立し教鞭をとるなど多忙な日々を過ごしていました。
その過労から体調を崩し始めたメンデルスゾーンに、悲劇が起きます。
それは、大好きなお姉ちゃんの死。
そう、フェリックス坊やは極度のシスコンだったのです。
彼の作品のほとんどはお姉ちゃんがゴーストライターだったという説もあるくらい。
ショックを受けたメンデルスゾーン。
姉を追うようにその半年後、脳卒中により38歳の生涯を閉じます。
最期の言葉は「疲れた、ひどく疲れた」。
はは、完全に過労死する人間のセリフだね。
…笑えない。
Cause 4. 死因:狂死:ベドルジハ・スメタナの場合
1824年~1884年,チェコ
チェコ音楽の父。
「モルダウ」の作曲者と言えばほとんどの人がわかるでしょう。
そんな彼、実はベートーヴェンと同じく難聴に苦しめられていました。
モルダウを含む連作交響詩「我が祖国」作曲時にはすでに完全に失聴。
その後脳疾患で発狂状態になり、記憶も失って精神病院に収容され亡くなりました。
ベートーヴェンも真っ青な壮絶な最期…。
ちなみにシューマンも同じく幻聴に悩まされ(「巨大な管弦楽のようなものがずっと聴こえる」)自殺未遂、精神病院で亡くなっています。
Cause 5. 死因:迷宮入り~ピョートル・チャイコフスキーの場合
1840年~1893年、ロシア
三大バレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」を始め、お馴染みの名曲を多く残したチャイコフスキー。
彼の死因はいまだに謎に包まれています。
彼は交響曲第6番「悲愴」の初演を自分で指揮した1週間後、突然亡くなります。
レストランで飲んだ水でコレラに感染した説が有力。
しかし自殺説や、秘密裁判で有罪になり処刑されたという処刑説も。
なぜならチャイコフスキー、実はゲイ。
ロシアの青年貴族と関係を持ってしまったという噂があったのです。
当時、ロシアでは同性愛はご法度、死刑ものでした。
その事実が判明し、チャイコフスキーはヒ素を飲んで自殺した、もしくはさせられたのではないかと…。
真相は藪の中…ミステリー…。
Cause 6. 死因:呪い(?)~グスタフ・マーラーの場合
1860年~1911年,オーストリア
なんだかおどろおどろしい死因が続きますね。
ウィーン生まれの後期ロマン派を代表する大作曲家マーラー。
生前は作曲家としてよりも指揮者として有名でした。
そんな彼は相当神経質な性格で、晩年とある噂に悩まされました。
それは「第九の呪い」。
大作曲家は交響曲を9曲書くと死んでしまう、というジンクス。
んなあほな。
ベートーヴェンやブルックナーはそうですね。
一応ドヴォルザークも第9番まで書いていますが、マーラーの生きた時代には出版されていないはず。
このなんともいえないジンクスに踊らされたマーラー。
交響曲第8番を書いた後、次に完成した交響曲を交響曲として認めず「大地の歌」と名付けて発表しました。
発表後
「おれ死んでへん…?やった!呪いから解放されたんや!」
交響曲第9番を作曲→死亡。
コントかよ。
Cause 7. 死因:妻を救おうと死~エンリケ・グラナドスの場合
1867年~1916年、スペイン
近代スペイン音楽を代表する作曲家。
ニューヨークで自作のオペラが初演されることになり、夫妻で招待されたグラナドス。
彼は船嫌いで有名。
本人はためらったものの、最愛の妻の願いもあり初めて大西洋を越え、アメリカに渡ります。
初演は大成功、アメリカで大きくもてなされた後、帰国の船に乗った夫妻。
しかし時は第一次世界大戦中。
夫妻を乗せた客船は、なんとドイツ軍の潜水艦に魚雷攻撃を受け沈没。
一度は救命ボートに救い上げられたグラナドスですが、
波間に沈もうとする妻を見つけるやいなや再び海に飛び込み、
そのまま二人は海の藻屑と消えてしまいました。
Cause 8. 死因:交通事故~モーリス・ラヴェルの場合
1875年~1937年,フランス
「ボレロ」や「展覧会の絵」のオーケストラ編曲などで有名なバスク系フランス人作曲家。
そのきらびやかな管弦楽法は「オーケストラの魔術師」という異名を持っていました。
彼は以前から軽度の言語障害、記憶障害に悩まされていました。
1932年、パリでタクシーの乗車中、交通事故に遭い、その症状が一気に悪化してしまいます。
わずか50語程度の手紙を書くのに、辞書を片手に1週間かかるほど。
「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一文字も曲が書けなくなってしまった」
と友人に泣きながら話したこともあったそうです。
また自作の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴き、
「美しい曲だ、誰が書いたんだろう。」
…悲しい。
そこ、エクストリーム自画自賛とか言わないように。
最後は脳外科手術を受けたものの、脳の萎縮を食塩水で膨らますなどの謎治療により、その生涯を閉じています。
Cause 9. 死因:虫刺され:アルバン・ベルクの場合
1885年~1935年,オーストリア
新ウィーン楽派を代表するベルクは、12音技法の中にも調性感を感じさせる独特の作風で、名曲を残しました。
ある時ベルクは歌劇「ルル」の作曲に取り組んでいました。
しかしアルマ・マーラー(マーラーの未亡人)の2番目の夫との娘、マノンが19歳で急死してしまいます。
マノンをとても可愛がっていたベルクは、ルルの作曲を中断し、ヴァイオリン協奏曲を「ある天使の想い出に」捧げるため作曲しました。
ところが完成後、ベルクは虫刺されが原因で敗血症を起こし急死してしまいます。
マノンのために書いた曲が、自分自身へのレクイエムともなってしまったのでした。
なんという皮肉…。
Cause 10.死因:射殺~アントン・ ヴェーベルンの場合
1883年~1945年,オーストリア
最後はこの人、ベルクと同じく新ウィーン楽派を代表するウェーベルン。
時は第二次世界大戦終戦直後のオーストリア。
ウェーベルンは娘夫妻の夕食に招待されました。
しかし実は彼の娘婿は闇行商。
ちょうどその晩、闇取引の現場を取り押さえようとした米軍が、夫妻宅を包囲していたのでした。
ウェーベルンは娘婿からもらった煙草を吸おうと外にでます。
孫たちに汚れた空気を吸わせないよう、彼なりの気遣いでした。
そして暗闇で煙草に火を付けたその時、3発の銃弾がウェーベルンを襲いました。
その火が娘婿の闇取引の合図だと誤解されて、射殺されてしまったのです。
…最期を飾るにふさわしい非業っぷりですね…。
まとめ
作曲家たちの意外な最期、いかがでしたでしょうか。
彼らの人生を知ることで、より彼らに関心を持つきっかけになればと思います。
取り上げた作曲家の皆さん、決してネタにしたわけではありませんよ。
僕のこと呪わないでください。
…おや?こんな時間に誰か来たようだ。