前回までの記事で、指揮者という生き物のヴェールが少しずつはがれてきたでしょうか。
第三弾となる今回は、「指揮者の勉強方法」について。
指揮者の仕事のうち、リハーサルや演奏会で指揮台に立っている時間はほんのわずか。
せいぜい10%以下。
別に指揮台降りたら女をはべらしたり酒ばっか飲んでるわけではないんです。 たぶん。
じゃあどこでなにしてるのかというと、ほとんどの時間を勉強に費やしています。
勉強というとなんだか学生時代を思い出して胃が痛くなりそうですが、一体具体的にどういうことをしているのでしょうか。
指揮者の生態を知りたい方、これから指揮を始めようと思ってる方、アマチュアで指揮する機会があるんですという方。
世の中の全ての人々の疑問にお応えします!(ニッチすぎる疑問)
指揮者の勉強~現役指揮者の場合
それぞれの勉強スタイルがある
これはもう千差万別、それぞれのスタイルやキャリアがあるので一概には言えません。
一つ言えるのは、初めて振る曲を勉強するのは大変ということ。
当然ですよね。
よく振った経験のある曲の方が、難易度はさておき、準備しやすいものです。
例えば若いうちはレパートリーが少ないので、初めて振る曲、あまり振ったことのない曲というのが多く、勉強に時間がかかります。
一方ベテランなら、同じ曲でも今までの蓄積があるので、若手ほどは時間はかかりません。
初めて振る曲というのは、キャリア関係なしです。
特にオペラ(そもそも歌詞が外国語)や現代音楽の初演はなかなか皆さんヒーヒー言うてます。
しかし人による!だけで済ませても面白くないので、一般論としてどんな勉強が必要か、挙げてみようかと思います。
実際僕の場合もこうしてます。
必要な勉強~指揮台に立つ前に
楽譜を選ぶ
そこから!?と思われるかもしれませんが、大事なことです。
世の中には同じ曲でもたくさんの出版社から楽譜が出版されています。
しかも(たちの悪いことに)それぞれ微妙に内容が違うのです…。
有名なのはブルックナー。版によってはそもそも演奏時間が違います。
彼は優柔不断な性格で、自分の曲を弟子や初演の指揮者の言われるがままに書き直しました。
どこまでが本来のブルックナーの意志か、という解釈が学者の中でも分かれていて、色んな版が作られてしまったのです。
ブルちゃん、自信もって。
ベートーヴェンなんかでも音が全然違うこともあります。
指揮者は実際にどの版を使い、それぞれ意見の分かれるところでどういう選択をするのか、自分の中で論拠を持って決めておかなければならないのです。
知りませんでしたは通用しない世界。
曲について知る
曲のジャンル
交響曲や交響詩、オペラ、ミサ曲、舞曲などなど…。
それぞれの中でも様々なジャンルがあります。
例えば舞曲でもワルツやレントラー、サラバンドにジーグ、マズルカ、ポロネーズ、はたまたどこかの民族舞踊など。
オペラの中でも、ドイツものとイタリアものではアプローチが全く違うし、モーツァルトとワーグナーでも全く違います。
それぞれで演奏のスタイルが違うので研究が必要です。
調べもの
その曲の概要や作曲された経緯はもちろん、
作曲者の生涯や作風を調べたり、他の作品を聴いたり、研究書物を読んだり、曲が書かれた当時の世界情勢を勉強したり…
作曲者の書簡集なんか読んでみると、かなりインスピレーションが湧きます。
資料は本を買ったり、図書館で借りたり、ネットの情報なんかも参考にしたりします。
オペラだとまず歌詞の意味を全部調べるところから。
これはなかなか骨が折れます。対訳をスコアに書ききっただけで、その曲の全てを理解したような、ものすごい達成感を味わいます。
※なおまだ一切楽譜を見ていない
この領域の勉強はやり始めるとキリがありません。
しかし作品を深く理解するために絶対必要です。
そういった理解は、知らず知らずのうちにおのずと演奏ににじみ出ていくのです。
とはいえキリがないので、僕の場合は最初に作曲者と作品周辺のことを調べて、詳しいことは後の作業と並行して調べています。
楽曲分析(アナリーゼ)
ようやくそれらしいのが来ました!
一概に分析といっても、やることは様々。
音楽とは、実は昔は数学と同じように学問として扱われていました。
何気なく耳にするクラシック音楽ですが、実は作曲上の様々なルールがあり、それらを守って(あるいはわざと破って)書かれています。
いわばパズルのようなものです。
またそのルールも時代によって異なるので、それぞれの時代様式を知っておかなければなりません。
形式の分析
それぞれの曲、それぞれの部分がどういった形式で書かれているのか。
ソナタ形式やロンド形式、変奏曲やフーガなど。
形式によって、この部分はこの調性!なんて決まりもあります。
作曲家はそれぞれの形式を使いつつ、オリジナリティを出そうとします。
演奏者はどこが型通りで、どこが型を破っている部分なのかを分析して理解しなくてはいけません。
そこが作者の一番言いたいところですからね。(国語風)
和声の分析
西洋音楽の仕組みを一言で表すと「緊張と緩和」。
そのカギとなるのが和声法と対位法です。
和声法は、それぞれの和音がどういう機能を持っていて、どういう順番で使えば心地いいのか。
例えば、のび太がスネ夫→ジャイアン→ドラえもんの順番で会うと、スネ夫で少しムッとし、ジャイアンで緊張が高まり、ドラえもんに会ったときホッとできますよね。
でも順番がジャイアン→スネ夫→ドラえもんだとどうでしょう。
ドラえもんに会えた時の安心感は薄いし、スネ夫なんかどうでもいい気分になりません?
実際はかなり複雑な理論ですが、簡単にいうとこういう感じ。
対位法は、複数の旋律がどういう関係で進むと心地いいか。
あんた、あたしがこっちに5度で動いてるんだからついてくるんじゃないわよ!的な。
正直、かなりルールがうるさいです。小姑かよ。
それぞれの理論を駆使して曲は書かれているので、それを分析し、演奏に活かすのが我々の役目。
ここが一番緊張が高まるからここまでは止まらずに進めようとか、おいおいそこそんな風に転調する??ロック過ぎない??とか、
ここでこの和音きたー!とか、
一人机の上でウハウハしてます。
指揮者ってだいぶ気持ち悪いでしょ。
動機の分析
クラシックは多くの場合、動機(モティーフ)と呼ばれる音のパーツを、あの手この手で変形させて曲に使っています。
特にドイツ音楽はその傾向が強いです。かなりロジカル。
一曲まるまる動機の活用だけで書かれてたりします。
そのロジックをひも解くことも必要です。
これも宝探しみたいな気分です。
これがワーグナーあたりになってくると、それぞれの動機が登場人物を表したり、心情や物を表したりするので、より分析範囲が多岐に…。
その他の分析
作品によっては、教会旋法とよばれる大昔の音階が使われてたり(グレゴリオ聖歌とかのあれ)、
12音音階だの中心軸システムだの移調の限られた旋法だの、独自の音階や作曲理論が採用されてる場合も多々あります。
それらを見つけ、どういう使われているかを分析します。
現代曲の理論はハゲそうになります。
曲を入れる
これらの分析をもとに、どう演奏につなげるかを考え、曲を覚えます。
覚えるといってもすべてのパート、すべての音を記憶する必要はありません。(出来る人もいますが)
大事なのは、自分の中でその曲が鳴っていること。
実際に演奏したらこういう音がする、というイメージをなるべくクリアにするために、ひたすら楽譜を頭の中で鳴らします。
クリアであればあるほどいいです。名建築のちょっとした刺繍も思い描けるような精緻さ。
僕の経験上、指揮がうまくいかない場合の原因の半分はこの過程な気がします。
自分の中で良い音楽が明確になっていると、自然と良い演奏が出来るのです。
この作業にはピアノがあると便利!
ものすごいソルフェージュ能力があり、スコアを見るだけで全ての音が頭の中に鳴るという超人は必要ないですが、
そうでない場合は実際に自分で音を出してみて確認をします。
あとは声に出して歌うのも効果があります。
自分で音を作るという作業を通して、覚えやすくなるし、欠点に気づきやすくなります。
音源を聴く
これらの作業を行う上で、音源を聴くべきかどうかは賛否の分かれるところ。
また機会があれば詳しく書こうと思います。
私は、勉強した上で、演奏上の解釈を比較するのに音源を聴くことが多いですが、一概には言えません。
アウトプットの準備
ここまで曲を取り込めたらゴールは間近!
実際演奏する際、どう振ればそれが奏者に伝わるか、考えます。
ここで本格的に振る練習を始めるのです。
人によってはそもそも振る練習をしないという人も大勢います。
一方カラヤンやクライバーはかなり鏡の前で練習していたとか。
いずれにせよそこに至るまでの勉強が最も重要なのは言うまでもありません。
また実際にリハーサルをどう進めるかというプラニングをします。
時間配分や、優先順位を事前に決めておくことで、より効率的なリハーサル運営を目指します。
奏者がつまづきやすい部分をマークしたり、飽きにくい工夫を考えたり。
もちろんリハーサルは生ものなので、様々なシチュエーションを想定していきます。
奏者の方々との関係性は、ここで決まるので重要です。
これほど準備しても
上手くいかないときはいかないんですけどね。笑
眺めてみて改めて思いましたが、そら時間がいくらあっても足らんわ。
ということで指揮者が普段してる勉強についての話でした。
今度は指揮者を目指す若者がどういう勉強、練習をしているのか書いてみようかと思います。