先日行われたベルリンフィルの公演。
演目は歌劇「利口な女狐の物語」(ヤナーチェク)演奏会形式。
指揮は音楽監督サイモン・ラトル。
以前このブログではオペラの現代演出について触れてみましたが、
今回はオペラの演奏会形式について触れつつ、この作品の魅力、そしてベルリンフィルの公演内容に迫っていきたいと思います!
利口な女狐の物語
チェコの作曲家ヤナーチェクが1924年に書いた歌劇。
ヤナーチェクについてはこちらの記事で。
なんだかメルヘンチックなタイトル ですが、それもそのはず、原作はなんと新聞に掲載されてた絵物語。
ののちゃんみたいなものかな。
なんでそんな話をオペラ化することになったかというと…
ーーーーーー
ヤナーチェク家の家政婦が、主人に新聞を渡すより先にこっそり読んでいたところ、声を上げて笑ってしまいバレる。
ヤナーチェク「なにわろてんねん」
家政婦「利口な女狐です…(ばつが悪そうに)」
ヤナーチェク「なんやそれ?」
家政婦「今流行ってるの、知らないんですか?旦那さん動物のこと詳しいし、ステキなオペラ書けるんとちゃいます?」
ヤナーチェク「ほんまか、どれどれ…」
ーーーーーー
優しい世界。
一分でわかるあらすじ
休憩して寝ている森番(森の管理人)、森番の血を吸う蚊、蚊を食べようとするカエル、カエルを見つける子どもの女狐ビストロウシュカ…。
ビストロウシュカを見て驚いたカエルが、森番の上に落っこち、彼は目を覚まします。
そして子狐を見つけると、息子のペット用に捕まえ、テイクアウト。
場面は変わって森番の家。
息子たちに悪戯され、噛みつくビストロウシュカ。お仕置きで縛り上げられてしまいます。
明け方、そんなビストロウシュカを鶏たちがからかいにやってきます。
腹を立てたビストロウシュカは雛鳥たちを食べて、家から逃げ出すのでした。
こいついちいち狂暴すぎる。
~~~~月日は流れ~~~~(2幕)
ところは居酒屋。森番は校長に片思いのことをからかい、校長は森番に逃げられた狐のことをからかっています。
帰り道、酔っ払いの校長は、成長したビストロウシュカを片思いの相手と勘違いし追いかけ、(理解不能)
森番は捕まえようと発砲するもまんまと逃げられてしまいます。
その後ビストロウシュカは雄狐と出会い恋に落ちます。
二人は動物たちに祝福され、盛大な結婚式を挙げるのでした。
(その間たった一場、スピード婚すぎる)
~~~さらに月日は流れ~~~(3幕)
夫とたくさんの子どもたちを引き連れたビストロウシュカを行商人ハラシュタが見つけ、婚約者(校長の片思い相手)へ狐の襟巻きをプレゼントするため捕まえようと意気込みます。
しかしビストロウシュカがおとりになって逃げまわってる間に、夫と子どもたちはハラシュタの鶏を食べちゃいます。(ばか!)
激高した行商人はビストロウシュカを射殺。
しばらく経って、また居酒屋。
女狐を見つけられない森番、失恋した校長…。
居酒屋の奥さんが、ハラシュタの新妻が狐の襟巻きを持ってたと話します。
あれやん…
自分たちも年をとったと、辛気臭い居酒屋を森番は出ていきます。
ーーーーーー
森の中で、若かりし頃を思い出す森番。
こうやって若い妻と寝っ転がりチョメチョメしたなぁ…。
ふと、彼は幼い女狐に気づきます。ビストロウシュカ!
しかし捕まえられたのはカエル。
そう言えばビストロウシュカを捕まえたときも、カエルがいたなぁと想い出してると、カエルが一言。
「それ、ぼくのお祖父さんだよ」
森番は繰り返されていく生命の再生、自然の循環を目の当たりにし、大きな感動を覚えるのでした。
おわり。
最終場面の演奏
Janáček: The Cunning Little Vixen / Finley · Rattle · Berliner Philharmoniker
ヤナーチェクの想いが詰まった物語
いやー登場人物が多くて、話も結構あっちこっちいってまとめ辛かった…。
特に3幕なんて、突然話が重くなってません?
主人公あっさり死ぬし、エンディングは壮大だし。
それもそのはず、原作は2幕の部分で終わり。
3幕はヤナーチェク自身が書き足した部分なんです。
元々は動物たちのメルヘンなお話を、彼はより大きなメッセージ性を持った作品として台本化しました。
みんないつかは年老いて死ぬ。でも死があれば生もある。
世界はその生命のサイクルを、とてつもないスケールで繰り返していく。
その自然への畏怖に近い敬意を彼は描いたのでした。
だからこそビストロウシュカはあっさり結婚して、あっさり殺されたんですね。
彼女の生涯にフォーカスし、観客が彼女に感情移入してお涙頂戴すると、本当に描きたかった部分がボケてしまうから。
ヤナーチェクは一匹の女狐を例に、よりマクロな世界を描き出したのです。
どうしても泣きたい方はごんぎつねをどうぞ。
アイディア満載のベルリンフィル公演。
なんでオペラなのに、歌劇場でなくコンサートホールで?
実は今回の公演は、演奏会形式の上演でした。
演奏会形式って?
通常オペラは専用の劇場で上演されますが、そのためには莫大な時間とお金がかかります。
でもオペラって、音楽、歌を聴くだけでも素敵な作品がいっぱい。
そんな作品を手軽に聴けるよう、コンサートオーケストラが演奏会で取り上げることもあるのです。
その際、衣装や大道具、演技演出はなし。
協奏曲のように、純粋に歌手とオーケストラの演奏だけ観ることになります。
低予算、短い練習期間で上演でき、普段歌劇場では取り上げにくい演目を上演できるというメリットがありますが、
一方、オペラはもともと芝居も含めて書かれているので、その魅力の半分しか味わえないというデメリットも。
また演技に助けてもらえない分、歌手の力量がかなり目立ちます。
実際に見てみた。
利口な女狐は登場人物が多く、大規模な合唱や児童合唱が必要なシーンもあり、場面や人物がコロコロ入れ替わります。
その複雑な物語を、演奏会形式でどのように魅せるのでしょうか…。
いざ客席に入ると、
オーケストラの前に白い台が!
これはおそらくある程度の演技がつくということなんでしょう。
セミステージ形式と呼ばれるものです。
そしてそこら中にモニターが設置されているのも気になる…。
下手前だけでなく、見にくいですがコントラバスの上や客席奥など、合計5台くらい。
字幕用にしては多い…。
そしていざ公演が始まると、なんとモニターに映像が!
蚊が飛んでる場面では蚊の映像、カエルが現れるとカエルに…
これはわかりやすい!
ちなみにビストロウシュカが雛鳥を食べるシーンでは、女性がひたすら焼き鳥を食ってました。
いやうん、わかりやすいけども。
歌手は皆上下黒黒の衣装でしたが、思いのほかちゃんと演技してました。
普通にオペラとして楽しめる。
演出自体も基本的にそこまで変なことはないですが、ところどころ難解なところもあり。
前の席の子どもがお母さんに「あれなあに」と質問し、
その度に後ろのひげもじゃおじさんが「シーッ」と大声で注意、
そのシーッに対して横のお兄さんがNO!みたいなジェスチャーをし、
そのお兄さんのジェスチャーが気になって舞台に集中できない僕という謎のサイクルが頻繁に発生。
あと気になったのは結婚式の場面で、合唱が全員クラブ風ダンスを踊ってたくらいかな。
ラトル、ベルリンフィルも美しい演奏。
以前演奏会形式の「トスカ」を聴きに行ったときは、「これはプッチーニでない、ベルリンフィルだ…」というような演奏でしたが、
やはりラトルにこういう現代的な曲はマッチしますね。
ベルリン国立歌劇場でのカーチャ・カバノヴァーも良かったですし。
演奏会形式でも十分ヤナーチェクの想いを感じることができ、とても胸を打たれました。
演奏会でオペラ、みなさんも是非足を運んでみてください!